【焦点】(しょうてん)

 

フォーカスしているのは私

 

 

 

 

 固定した焦点と視点を柔軟にするために。

 自在に焦点を定めるために。

 

 

     焦点を固定している認識を「現実」として味わい

     その現実にただ「反応」して生きていることに真に 気づくために。

 

  焦点している対象は源にあらず
  そこに焦点している私に源あり
  一呼吸ごと、毎瞬が焦点

 

 

    苦しみに焦点を合わすのをやめる

    もうそこではない

    時間に安住するのをやめる

    もはやそこは住処(すみか)ではない

    起こる結果に幸せを求めるのをやめる

 現象は源では無いのだ

 

    どこに焦点していようが

 そこに焦点している"私"に

 永遠不滅の幸せがある 

 

 


 

固定されたピントで見る世界を"現実"と呼び

そのピントに合致するものを"真実"と呼んできた

 

その自らのマトリックスからプラグを抜き

固着した焦点をついに自在にするとき

目覚めが訪れる

 

どの世界観に焦点を固定するかではなく

ただどこまでも解き放ち続けるとき

そこに現れる無限の世界に目を見開くだろう

 

何かを求める必要は消え去り

善悪も時間さえも力を失い

いままで探し求めていたものは

今までも今もこれからも

 

すべてがすでにここにあるのを知るだろう

 

 

「焦点」は2020年1月11日に受け取りました。

このときにあった感覚は、

「固定してしまった視点を外せ」ということ。

固定していることが変化を拒み、苦しさを生む。

それは、視点を何に固着しているのかという「対象」の問題ではなく、

その対象が何であれ、視点を何かに「固定している」ことがその人の世界をつくり、その人の住む「現実」になるということ。

そして、今まで役に立っていた堤防を守るのではなく、自由な川の流れそのものであれ、というような感覚でした。

今現実として当たり前に認識し安住しているこの自分の焦点を、まさに疑い、そして最高の可能性を観る。

何を現実として生きるかを決めるのは自分だということ。